【使命感】この命はなんのためにあるのか

お久しぶりです。

ウツ君です。

ちょっと期間が空いてしまいました。

一度離れてしまうと書くことへのハードルが高くなり、どんどんブログから離れていく悪循環。。。

沼にハマってしまいましたww

でも、今日は久しぶりに書きたいという思いに駆られました。

それは、なぜかというと

永松茂久さんの『人生に迷ったら知覧に行け』という本を読んだからです。

一言でいうと、この本は第二次世界大戦時に日本陸軍が特攻作戦として、

沖縄に飛び立った知覧飛行場近辺でのお話のことを書かれています。

戦争のお話のことで話が重くなってしまうのですが、そこはご勘弁ください。

私自身理系出身で歴史のことは疎いのですが、両祖父が海軍出身ということもあり、

どこか関係があるような気がしてはいましたが、

今の時分から考えると遠い存在のような気がしていました。

この本には戦争で特攻したのは、まだ20歳ほどの青年たちであったと。

この青年たちはまだやりたいこと、果たしたい夢、愛すべき人たちと日々を過ごしたいなど

希望があったでしょう。

しかし、時代にその夢は奪われてしまった。

文字通り「守るべきもの」たちのために命を賭して飛び立った。

彼らへの尊敬は止まない。自分の言葉にするとこんなにも軽くなってしまうことに恥じる。

美化するつもりもない。

しかし、命を賭して日本を、家族を守ろうとしてくれたことは事実だ。

そのことに「感謝」が尽きない。

病気で休職中だったわたしは、「命より大事なものはない」という価値観だった。

しかし、自分の命より大切な「気高さ」をそこに見た気がした。

そう思うに至った一文がある。

『あとに続く日本の青年たちが、平和で争いのない、

世界に誇れる文化国家を建設してくれることを信じて、茂はたくましく死んでいきます』

あとに続く日本の青年ー これはまさしく俺だ、俺のことだ。

俺は不運な戦争の時代を生きた先輩方に託されたのだと。

この文章を読み、稲妻に打たれたようになりぼーっとしていた。

そして、なにか行動していこうと思い、このブログを書き始めた。

自分の生活や、貯金のこと、将来の安定などこまごまとしたスケールの小さいことで悩んでいた。

たしかに心の病気だ。調子は万全とは言わない。

しかし、自分の出来る範囲で自分の周り、家族、地域、そして国のために貢献したいと強く思った。

コロナの終息も見えない、混沌とした中開催されるオリンピック、、、

現代のニュースに目を向ければ、不安になるばかり。

そんな日々に右往左往するのではなく、

自分の“使命感”を持ち、日々を生きていこうと思う。

誇れる国に一歩でも前進するべく私は今日を生きようと思う。

以上!

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